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自然 zinen2014年06月27日 12:56


毎日楽しみにしている新聞記載のなかに、親鸞(完結篇)がある。初編、激動編にもまして考えさせられる。今日の一文節から。

「いまのわたしは、おのずと愚にかえろうとしているようだ」

「大事な経典の言葉が思いだせぬ。書名も、人名も、遠くにかすんでいるかのようだ。
かつては目を閉じていても、ありありと流れるように目にうかんだ経文が、どうしてもでてこない。
人はこれを年をとって耄碌したのだろうというだろう。しかし、それはちがうのではないかと思う。
わたしはいま、みずからの計らいではなく、他力の計らいによって自然(じねん)に愚に帰りつつあるのだよ」

これまで数回四国霊場88か所を巡礼した。行き着いたところは、やはり自然(じねん)。

追憶2014年06月19日 18:09

野の花々が一番心が和みます

今思うと、長い道のりを、歩いてきたように思う。
そろそろ終点に近づいているなあと思うことが多くなってきた。
しかし、そうした年齢を迎えて、一抹の寂しさと合わせて、 ようやく大切なものが、自然と選別できるようになってきた。
先撻の名言を待つまでもなく、人の路の奥の深さが、 少しは理解できたようで、なんとなく嬉しい限りである。